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Love S. Dove: 自称サイケデリック思想家。90年代後半にゴア/サイケデリックトランスに出会い、その後アジアや中南米を放浪。アメリカ在住。もっと読む
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    2010年8月24日

    スペクテイター22号にマリファナ・トリミングの体験ルポ

    現在発売中の雑誌・スペクテイター最新号(22号)において、『EMERALD DREAMIN’』というタイトルで、北カリフォルニアでのマリファナ収穫アルバイトの体験ルポを8ページにわたり掲載していただいています。ロックとバイクとマリファナが大好きな3児の父マークが営む小さな医療大麻農家での衝撃?の日々。大手メディアでは絶対に読めないリアルでディープな内容です。ぜひご一読を。感想もお待ちしています。

    今号の特集は『WORKING! 再考・就職しないで生きるには』。一度も就職したことのない私には、これまた興味津々な特集。友人の気流舎店長・加藤くんも書いています。スペクテイターは創刊10周年。志が高く、かといってシリアスになりすぎない貴重な存在です。次の世代へ残したい物をサポートするつもりで、万引きせずに買ってあげてくださいね。

    近況:アイヌモシリ一万年祭に行ってきました。とっても楽しかった!濃かった!そして過酷だった7泊8日!もうしばらく北海道に滞在します。

    Posted by Love S. Dove | お知らせ | マリファナ | コメント(6)

    2010年6月30日

    アンドルー・ワイル (2) サイケデリックスが自然治癒力を解き放つ

    前回の記事(アンドルー・ワイル (1) 大麻の議論はなぜ困難なのか)の続きです。プレゼンテーション動画も前回の記事に貼ってあります。

    サイケデリックスのサイコソマティックな可能性

    最近のサイケデリック研究はもっぱら、終末期のケアやトラウマの治療といった、心理的な問題の解決にフォーカスしていますが、私が関心を抱いているのは、サイケデリックスのサイコソマティックな可能性です。つまり、心身の相関性を活用することによって、身体過程や病気の状態を変えるとうことです。

    私が実践している統合医療は、人体がもつ驚異的な自然治癒力を利用する医療です。人間は身体だけでなく、精神や魂から成り立っています。今まで大勢の患者、サイケデリックスの使用者と話しました。中には信じられないような話がいくつもあります。サイケデリック体験による認識の変化を引き金として、重病が改善したというのです。

    私自身の例をあげます。私は子供のころから、なにかとアレルギー体質で、猫が苦手でした。猫が近づいてくるといつも追い払っていました。防御反応が頭の中に深く染み込んでいたのです。28歳のある日、田舎の美しい場所でLSDを摂りました。突然、猫が私の膝の上に飛び乗ってきました。一瞬、反射的な反応をしそうになったものの、ふと「こんなことはバカバカしいじゃないか」と思ったのです。そして、猫をなでたり、じゃれたりしてみました。アレルギー反応は起きませんでした。それ以来、猫アレルギーは治ってしまいました。すごいでしょう? 医者として、一体何が起きたのだろうと興味津々でした。

    他にもあります。私は色白で日焼けができなかったのです。海に行って太陽に当たると私の皮膚はすぐに真っ赤になってしまいました。ある日、またLSDを摂って裸ではしゃいでいました。天気がよく気持ちのよい日だったので、外で寝転がってみようと思ったのです。「どうして私は太陽を怖がらければならないのだろう?どうしてふつうに日光浴を楽しめないのだろう?」と考えていました。すると、またたく間に日に焼けて黒くなったのです。それ以来いつも日焼けするようになりました。日差しの強いアリゾナに30年住んでいますが、もう赤くなることはありません。20年間も継続したパターンが、あっという間に変わってしまった。

    慢性的な免疫疾患の患者が、場合によってはたった一回のサイケデリックスの使用で、症状が消えてしまったという劇的なケースも知っています。これ以上興味深いことがあるでしょうか。なぜ、サイケデリックスの研究者は、この点をもっと調査しないのか、不思議でなりません。

    病気には、身体、精神、魂、社会といったあらゆる要素がかかわっています。身体と精神のつながりを利用することで、身体的な症状を改善できる可能性があります。そのための方法は、催眠や瞑想などいろいろあります。医学では、まだまだ未開拓の領域です。

    過去に起きた誤解

    サイケデリックドラッグは、すぐれた心身治療の道具です。過去のサイケデリック研究には障害がありました。サイケデリックスの体験は、期待・セットや環境・セッティングに左右されます。スタニスラフ・グロフのような初期の研究者は、自らの体験からサイケデリックスがどのような性質のものであるのかを熟知していたため、適切なセッティングで実験を行い、好ましい結果を引き出すことができたのです。けれども、サイケデリックスをよく知らない他の研究者が真似をしてみても同じ結果にはならなかった。彼らは、薬剤そのものの中に、魔法のような体験が含まれていると考えていたからです。思ったような効果が得られたなかったので、役に立たない薬だと言うようになったわけです。

    サイケデリック研究の妨げになった道徳的な問題なども確かにありましたが、それだけではなく、サイケデリックスの効き方が、薬学の研究者がふだん扱う薬剤とは異なるという点が、大きな障害物になっていたのだろうと私は思います。単純に薬理作用のみで素晴らしい効果が起きるわけではないということを、なかなか理解してもらえません。

    大麻は医薬品になるか?

    国内の現在の医療大麻事情を見て、私はこう思います。医療使用と嗜好使用をはっきりと切り離す方法がみつかるまで、医療の専門家が大麻を医薬品として受け入れるのは難しいのではないでしょうか。現在の医療大麻の処方方法では、医療用と嗜好用の境目があいまいになっています。また、喫煙し、煙を吸い込むという形で摂取しなければならない薬を患者に勧めるのもちょっと気が引けると思います。大麻草の抽出物からなるスプレー剤サティベックスのように、医療従事者に馴染みのある形で、医薬品らしくパッケージされていればいいのですが。

    大麻の研究も有望視しています。カンナビノイドのユニークな化学式から、脳がどのように、情報を受け取り、解釈するのかを調べたり、食欲や、傷みの感覚とどう関係しているのかを調べたらおもしろそうです。たとえば、大麻はアヘン鎮痛剤の効果を高めるので、大麻と併用すれば、アヘン剤の使用量を減らすことができます。

    まとめ

    サイケデリックスや大麻の研究から離れて何年も経ちますが、相変わらずサイケデリックスの途方もない可能性に驚かされます。気分が変わるとか、感情が安定するといったことだけではありません。病気の症状の認知の仕方、解釈の仕方を変えるという手法を用いて切実な重病と取り組み、ブロックされていた身体の治癒力を解き放つこともできるのです。

    サイケデリック研究の再開は素晴らしいことです。実験の方法や、広報の仕方については慎重にならなければなりませんが、支持を得る可能性は大いにあります。長い間私たちが甘んじてきた、この時代遅れで役立たずの一般認識には今、変化の時が訪れていると思います。

    ***

    ワイル博士の話を聞いて、昔、テレビで観たスプーン曲げの名人を思い出した。名人がスプーン曲げを披露し、タレント出演者達が真似してみるのだが、曲がらない。「スプーンは固いと思っているから曲がらないのだ」と彼は言う。「スプーンは柔らかい物で、簡単に曲がると信じなさい」けれども、そう信じようと努力しているうちはダメだ。やっぱりスプーンは固い、という思いがどこかにほんの少しでも残っていると曲がらない。それが完全に消え去った瞬間、スプーンは曲がるのだと言う。

    いくらスプーンを曲げても人の役には立ちそうもない。けれども、思い込みを取り去ることによって病気がよくなるならば、大いに人の役に立つだろう。病気を治す他にも、様々な可能性が考えられる。極端な話、食事を摂らないと死んでしまうというのも思い込みで、人は本来、エネルギーの流れであるプラナを食べているだけで生きていけるのだと言う人までいる(裏は取っていない)。

    アメリカでは、欠陥だらけの医療制度が問題になっており、仕事を持ち、中流の暮らしをしてきたにもかかわらず、事故や入院による突然の高額の医療費が支払えずに破産に追いやられる人が後を絶たない。低所得者向けの医療保険でカバーされない処方薬代もけっこうな出費になる。ワイル博士の最新の著書 “Why our Health Matters”(未読)では、医療保険問題の解決策として統合医療を提案しているようだ。今後、大麻も含めた代替医療や予防医療がさらに普及してゆくのかもしれない。

    Posted by Love S. Dove | LSD | マリファナ | 医療 | コメント(5)

    2010年6月29日

    アンドルー・ワイル (1) 大麻の議論はなぜ困難なのか

    dinner

    去る4月にカリフォルニア州サンノゼで行われた、サイケデリクスの国際会議 “Psychedelic Science in the 21st Century”は大盛況だった様子。シュルギン夫妻を囲む晩餐会も満員で、自動車事故で骨折してからまだ間もないというのに、画家アレックス&アリソン・グレイ夫妻もニューヨークから駆けつけ、新作”The Shulgin’s and Their Alchemical Angels”をお披露目した。(CoSM blog)

    また、期間中にはニューヨーク・タイムズCBS NewsCNN、BBC、サイエンティフィック・アメリカンなど、いくつものマスコミ取材があった。マスコミの反応はポジティブなもので、 会議を主催したサイケデリクス研究協会MAPSのスタッフも、 マスコミの力でサイケデリックスの可能性が広く知れ渡り、一般からの支持を得ることにつながるだろうと言って大喜び。

    会場で配布されたプログラムを見ると、4日間(プレゼンテーションは3日間)に及ぶスケジュール(しかもプレゼンテーションは3箇所の会議室で同時進行)は、まあ当然ながらドラッグ一色で、多方向からサイケデリックスの「今」がわかる、濃密な構成だったようだ。(行きたかったなー)

    アンドルー・ワイル『サイケデリックスと医療用大麻はどこへ向かって行くのか』

    私の敬愛してやまないアンドルー・ワイル医学博士のお話をかいつまんで紹介。通常の西洋医学とオルタナティブな医学の双方からアプローチする「統合医療」の第一人者として、日本でも彼の名前を知る人は多いと思うが、70年代に南米を訪れてアヤワスカの研究をしていたり、ハイ・タイムズに8年間連載を持っていたりしたことはあまり知られていないかもしれない。ユーモアを交え要点を押さえながら語られる、医療の現場からの生の指摘は大変鋭く、ハッとさせられるものがある。現在はサイケデリックスや大麻の研究から遠ざかって久しいものの、彼の言葉からは、未だ色あせることのない、サイケデリックスのもつ可能性への情熱があふれ出している。

    Psychedelic Science in the 21st Century – Andrew Weil M.D. from MAPS: Psychedelic Science on Vimeo.

    大麻の議論はなぜ困難なのか

    私は68年に大麻の実験を行い、てっきり10年以内に大麻は合法化されるものだと思っていました。当時の法律や一般大麻観があまりにも間違った憶測に基づいていたため、事実をを表に出して広く世に知らしめさえすれば、すぐに変わると思っていました。でも間違いでした。事実や科学的証拠がどうであれ、人は信じたいことしか信じないのです。

    医療の仕事においても、何度もこういった場面に出くわしました。 みなさんは、なにか物事を変えるためには、実験を行い、結果を示せばよいと思っているかもしれませんが、医学の世界では違います。私がアリゾナ大学で統合医療を教えているのは、医学部長の協力のおかげなのですが、彼がこう言っていました。医師や医学者は何を言っているかよりも、誰が言っているかに反応するのだ、と。新しい情報の出所に馴染みがないと、反射的に身構えたり、無視したり、反対したりするのです。

    彼がよくあげる例ですが、50年代に、ある一般内科医が、アスピリンに心臓発作予防効果があるという仮説をたて、学会誌に発表したことがありました。ところが心臓の専門医がこれを検証するまでに30年もかかったのです。仮説をたてたのが一般医であり、心臓の専門医でなかったために注目されなかったのです。

    医学の世界でもこんな有様ですから、情報の出所がもっと馴染みのない、たとえば風変わりな国の呪術医だったりしたら、一体どうなってしまうでしょう(笑)

    ここは大事なところですからしっかり理解しなければなりません。ドラッグの問題がヒステリックに取り上げられてきた理由は、ドラッグと聞くと、感情的で理不尽な反応をする人がいるからです。いくら科学的証拠を示して議論をしても無駄なのです。行動・思考様式(culture)や物事への向き合い方(attitude)から変わらなければならないのです。大麻と聞くと、アウトサイダーや変人、サブカルチャーを連想します。かつては黒人ジャズミュージシャンやメキシコ人労働者、60年代にはビートニックやヒッピーと結びつけられてきました。こういった関連性があるために、メインストリームのアメリカ人は大麻に抵抗を示すのです。

    サイケデリックスの研究に扉が開かれたことを嬉しく思います。サイケデリックスに関しては何かが変わったのです。しかし、大麻に関してはまだ変わっていません。大統領が医療用大麻の法改正にあまり乗り気でないのでがっかりしています。

    ***

    長くなってきたので2回にわけます。次回は、このお話のメイントピック、ワイル博士がLSD体験から発見した、心と体の相関性、そして、大麻が正真正銘の医薬品として市民権を得るために必要なことについて話します。

    Posted by Love S. Dove | マリファナ | 医療 | コメント(2)

    2010年6月18日

    森で出会った不思議な白い物体が教えてくれたこと

    雨、雨、雨。みんなはどんな気分になる?私はけっこう好きかも。まだブログでは報告していなかったけれど、ここしばらく東京に滞在している。で、先月、友人が誘ってくれたので、山梨県道志村で行われた野外フェスティバル、ナチュラルハイに行ってきたわけなのだが、2日目は天気予報で聞いていたとおり、一日中、雨。

    雨が降りしきる中、レインコートを羽織って一人、会場を散歩してみる。キャンプサイトの一番奥から、山奥へと続く小道を発見。車が一台通れるくらいの幅があるそれなりの道だが、雨のせいか誰も歩いていない。導かれるように坂道を登る。森の中のコケむした河原に、良さげな石をみつけて腰を下ろす。しばし雨音を聞きながら、小川の流れを見つめ、心を鎮めてみる。「この石たちは、いつからここにいるのだろう。ある時は雨に打たれ、またある時は太陽に焼かれながら、どんなふうに世界を感じているのだろう・・・」

    さらに山道を登ると、道の横に平らなスペースが現れた。まだ新しそうな薪の燃えカスが残されているので、昨晩、誰かがここにキャンプし、焚き火をしたのかもしれない。周囲は春の新緑の緑に包まれ、雨水を浴びた植物たちが潤い、生き生きと嬉しそうにしているので、なんだか私も嬉しくなる。すると、ちょうど私の目の高さの位置に、米粒ほどの大きさの白い球状物体を発見。風に運ばれたゴミが、クモの巣にひっかかっているのかな? 顔を近づけてよく見ると、うすい卵の殻のような質感なのだが、どこか透明感もあり、カエルの卵を思わせる一点の褐色の部位がある。なんだろう、これは・・・。

    しかし、おかしい。ここはひらけたスペースであり、クモの巣がはっているはずはない。ということは、この物体は空中に浮いているのか。物体の周囲に恐る恐る手をやり、上下左右に動かしてみる。やはり周囲に物体をささえているものは何もないようだ。そして人差し指で軽く物体に触れてみると、雨に濡れた球状のそれは、やわらかいゼリー状に変形し、私の指にくっついた。なんだろう、これは!

    行き止まりまで歩き、そして来た道を戻る。崖の遥か下方に、川が大きな濁流になって激しく流れている。あれ?たしか上り道では、小さな小川がこの道と平行して流れていたはずなのだが・・・。途中で道が2本にわかれていたことを思い出す。道をまちがえた。引き返す。「誰か、道を聞ける人はいないかなぁ?携帯は?」ここは携帯の電波が入る場所だったのだが、こんな時に限って邪魔だからとテントにおいてきていた。親しみを感じていた森の木々が、一瞬にして、不気味で恐ろしいものに見えてくる。焦らない、焦らない、と自分に言い聞かせる。

    そもそも、道に迷うと真っ先に人や携帯電話に助けを求めようとするのは人間中心の考え方だ。森は命の宿った生き物である。他人の家に挨拶なく土足で上がっていけば怒られて当然。「私は怪しいものではありませんよ」声には出さなかったが心の中でそう言って、森がいずれ私を元の場所へ戻してくれるだろうと信じる。よく考えてみると、迷うような複雑な道ではない。一度引き返した道をまた引き返す。しばらく歩くと、赤や黄色のテントが見えてきた。そして人の姿も。ホッとした。

    ときどき、森はこんなふうにイタズラを仕掛けて人をからかう。けれども、愛情の裏返しというか、森は人が好きだと私は思う。自分勝手な人がうまく人間関係を築けないように、自分勝手なふるまいをする者には、森は容赦しない。人と接するときと同じように、いやそれ以上に敬意を払い、相手のことを考え感謝の気持ちをもって接すれば、寛大な森はいつでも美しいものや不思議なものを私たちに見せてくれる。おいしい木の実やキノコも食べさせてくれる。人は森へ入り、新鮮な酸素を吸って癒される。森もまた、やって来た人々の喜ぶ声を聞き、活力を得ているのではないだろうか。植物は人の役に立ちたがっていると私は思う。

    誰もいない森から、たくさんの売店が立ち並ぶ会場へ戻ると、まるで都会へ戻って来たような感覚におそわれる。誰かがギターを弾きながら歌っている。散歩に出かける前に友人が見たいと言っていた、人気のミュージシャンかもしれない。かなりの人だかりで、友人を探すのはとても無理だったので、テントへ戻る道を歩き始めた。すると私のすぐ前を、その友人が歩いていたのだ。

    キャンプや野外フェスは都会的な遊びだと思う。自分も含め、都会の感覚を維持したまま、単に遊びの場を自然の中へ移すだけのことなのだ。休憩しながら、見知らぬ若い女性と雑談。東京から来たという彼女は「雨でがっかりですね」と言った。けっこうな量の雨が降り続き、地面はだいぶぬかるんでいた。泥で靴が汚れたり、服が湿って気持ち悪かったりするけれども、植物たちにとっては、生きていくために必要不可欠な恵みの雨。毎日せっせと酸素を生産し、私たちに無料で提供してくれるし、晴れている日には、服が雨で汚れることなんかよりもずっと多くの素晴らしいものを、私たちは森から受け取っている。「雨だからがっかりする」というのは、受け取ることだけを考えている、人間中心の見方だ。人間はがっかりしても、植物たちは喜んでいるのだから。

    そんな人間中心の考え方からは一刻も早く脱出し、森やあらゆるものを、命が宿る生き物として、相手の声もよく聞いて、誠意を持って接するようにしなければならない。その時、やつれた自然界に息が吹き込まれ、人と自然の関係は修復に向かうだろう。そうならなければ、今後の人類の存続は難しい。

    ところで、森で出会った白い物体だが、これ、ただのゴミかもしれないけれど、私の中では、森の精霊が物質化されて現れたのものだと思うことにした。誰もやってこない雨の日の深い森へ踏み込んだ私への、道志の森からのご褒美なのだ、と。実を言うと、この記事を書いたのだって私ではない。森の精霊が私に書かせてくれたのだと思う。精霊の声が私の文章できちんと伝わると嬉しい。

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